まるで記憶の宝石 眩しすぎる

都内在住アイドル好きOLの雑記帳(@u10924)

また明日からもお仕事を頑張って、また君に会いに行きたいと思う

 


22歳の春、就職を機に上京した。

 

 

家選びはジャニオタの友人が住んでいる近く(当時数人が固まって住んでた)を選んで、母親にはなんでそこにこだわるの?と聞かれたけど心配性の母親に「Twitterで知り合った友達」というフレーズを使えず「友達が近くにたくさんいるから」と濁してそこに住むことにした。(きっと察していたと思うし、今では遠征の度に私の実家にみんなで泊まるようになった)


2017年の年明け~6月頃まで部署異動をして、私は仕事第一にならなければならなかった。


現場がなかったので「仕事のせいで行けない現場」がなくてよかったなと何度も考えたけど、今になって逆に「どうしても外せない予定があるから休みたい」と告げるきっかけになったかもしれないと思うと、一概に「なくてよかった」とは言えないと思う。

 


何度も仕事を辞めたいと思ったし、線路に飛び込んだ方がいいかもしれないとも考えたし、実家に帰りたいとも考えた。

 

でも全部しなかった。

 

今も同じ会社に勤めてるし、実家には帰らずに、同じ家に住んでいる。

1年経った今、当時のことを振り返ってみようと思う。

 

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<表面化していたつらさ>
・何度も通勤時間には腹痛・吐き気に襲われた
・夜帰宅してからテレビもつけずにボーっと体育座りをしていた(本当に無の時間で気づいたら時間が経っていた)
・夜中に何度も目が覚めた
・携帯の着信音、バイブ音が怖くなった
 (社用携帯がiPhoneだったため私用携帯が鳴った時も怖かった)
・部屋で気づいたら涙を流しているときがある
・会社で「顔色悪いけど大丈夫?」と声を掛けられることが多かった
 これに関しては、声は掛けられるけど何か行動に移して助けようとしてくれる人はいなかった


自分では「死」を選ぶ勇気はないので絶対にしないと思っているし、自傷行為には至らなかったものの、「気づいたら」というのがピッタリなくらい、まさに「ハッ」とすることが多かった。

 

 

<私を苦しめた要因>
・勤務と休暇の境目がなかった
 24時間仕事のことを考えていて当たり前、という上司の下で働いていたため、夜中に電話がかかってくることがあったり、メールが飛んできたりした。土日も「今から来れるか?」と呼び出されることが多かった。
・自分の意見が反映されない、基本的に否定されるのが当たり前だった
 アイディアを出せ、と言われ、出しても「(上司)がそれは興味がない」と言ったら聞いてももらえない状態だった。
 常に顔色を窺って、何を言えば否定されないかを考えていた。
・ほぼ毎日の会食
 業務後はほぼ毎日会食があった。会食と言っても取引先と行うものではなく、普通の食事会。
 ストレスで痩せるかと思っていたが、ものすごい量を食べさせられ、今より5キロぐらい太っていた。
・「着信(バイブ)に気づかなかった」が通用しない
 他の作業をしていて気づきませんでした、というと「社用携帯を持っている意味がない。バイブで気づかないのはおかしい。気づかないなら着信音を出せばいいだろ。」と怒られた。
・ジェネレーションギャップ
 「今世の中ではこういうことが流行っていて…」と話すと0から100まで論理付けて説明しなければならない。
 TwitterFacebookInstagramについて何度説明しても伝わらず結局そのまま終わった。
 ちなみに「ベビースターラーメン」という単語を発したら「それは赤ちゃんが食べるものか?」と言われた。(なんじゃそれw)それぐらい通じない。

 


他にもたくさんあるけど、家にいても落ち着く時間がなかった。社会人なんて寝るために家に帰るようなもんなのに、その「寝る」というのも悪夢にうなされたり、翌日のことを考えると不可能だった。
会食は「友人と約束があるので」とか「親戚が東京に来ているので」とかいろいろ言って帰った日もあった。でもそのあと数日間は「〇〇は誘っても来ないからな~」なんて嫌味を言われたこともあった。

 

 

<苦しみからの脱却方法>
簡単に言うと逃げた。

 

上司に直接「あなたと仕事はできません。」と言った。

着信が来るだけで手が震えること
話が通じないと感じても自分なりに考えて一生懸命説明していたが「興味がない」「面白くない」の一言で耳を傾けてもらえなかったこと
朝の通勤時間が本当に憂鬱だったこと
同僚や気にかけてくれていた先輩社員からは「もう鬱じゃん」と言われていたこと
自分がつらかったことを本人に直接言った。

その後は私ともう一人同じ状況にいた後輩も抜け、その部署はなくなり、私たちは異動した。

 

 

<脱却できた理由>
一つ目は、同じく「仕事」で苦しんでいる友人がいたこと。

正確には苦しんでいる原因も違うけど、仕事に対して同じように嫌気がさしていた。
これは本当に軌跡だけど、たまたま何かの鑑賞会をしようと友人(冒頭に書いた家が近い友人)の家に行ったときにどちらからともなく仕事を辞めたいと言い出して普段の愚痴大会ではなく、「実家に帰ろうと思ってる…」「死にたいと考えるときもある」という話になった。友人もそのことについて真剣に考えていたけど、お互いに「ジャニーズが好きで上京」したので、でも10周年だよ!?と引き留めた。友人は「福井が楽しくなかったらもう本当に東京にいる意味はないし帰ろうと思う」と言っていて、上京一人暮らしの友人の中で一番仲良しの友人がいなくなってしまうと私も本当につぶれてしまう…と思って友人には申し訳ないけど本当に私の自己中で引き留めた。
結局その子と10周年のアリーナツアー、イベント、ドームツアー全部一緒に入って、二人で「最高に楽しい10周年だったね!」という話をした。彼女は「引き留めてくれて良かった」と言ってくれた。

きっと何もかもタイミング次第だと思うけど、友人がいてくれてよかったと心底思う。
と同時に、彼女にとって私がそんな存在になれたらいいなとも思う。

 


二つ目は、「ツアー」が控えていたこと。
辛い辛いと思いながらも、DVDが出て、ツアーの日程が発表された。
ジャニーズは私に癒しの時間を与えてくれる。楽しい時間を与えてくれる。悩む時間を減らしてくれる。未来を見ることを与えてくれる。
ツアーの日程が出ていて本当によかった。
福井に行かなきゃ、と思ったから頑張れた。

そして部署異動をして心が落ち着いてきた後の話ではあるけど、とにかく2017年は忙しかった。毎月、毎週現場があった。立ち止まってなんていられなかった。

コンサートでよく彼らは「ここに立っていられるのはファンの皆さんのおかげ」「また明日からもお仕事を頑張って、またみんなに会いに来たいと思う」という趣旨の話をしてくれる。

辛かった時期の私はまさにその状態だった。

アイドルに会いたくてがんばることができた。心の支えの95%はアイドルだった。

 


<脱却したいま思うこと>
逃げると一言で言っても選択肢はたくさんあったと思う。
それこそ最悪の場合は「死」だってありえた。
でも、自分の口で伝えることで今後の会社のために少しでも、役立てればと思ったし、そう考えると少し「戦った」と思う。
人間どうにかなるってことを感じた。

今はまだ同じ会社で働いているけど、「そういう組織」であることに変わりはないから色々考えないといけないな…とは思っては、いる。

 

 

 

私にとって「辞めたい」と伝えたことは転機だった。

人に流されやすい私が、このままではだめだと思って、自分で行動した。

 

あの時よりも悪い状況になることはないかも、と思っているから今は頑張れているし、会社の状態を知ったから「次に何か自分にマイナスなことがあれば辞めてやる!」「もっといい仕事なんていくらでもあるんだぞ!」と少し強気な自分になっている。

 

行動を起こしてよかった。

 

悩んでいる人へ、

「死」だけは選ばないで。人生なんとかなるよ。